ストーリー

「どこか懐かしくてあったかい」不思議な焼き芋。

焼き芋ねこじろうでは、
キッチンカーで様々な街の色んな人達と触れ合いながら、
焼き芋の持つ「どこか懐かしくてあったかい」不思議な力で、
人々を幸せにしたいという想いと、人との繋がりを大切にしています。

未来の社会を担う、子供達や若者達にも想いが届くように、
スイーツとして、「オシャレに、カッコよく、可愛い」そんな焼き芋屋さんを目指します。
 
興味を持っていただけたら、一度食べてみてくだい。
そして、遠慮なく何でも私に話しかけて下さい。
 
落ち着けるひと時を、少しでも感じてもらえたら幸いです。

そんな焼き芋ねこじろうの焼き芋屋さん開業までのストーリーをお話させて頂きます。

焼き芋ねこじろうの
開業ストーリー

自分が嫌でたまらなかった。

今でこそ、キッチンカーを開業して積極的な生き方をしてるけど、
元々は、思ったことを言葉にできない、行動にできない、極度の恥ずかしがり屋でした。

周りに、どう思われるかって事を気にしてばっかりで、
思った通りに言葉にできず、会話は苦手。人前が苦手。
そんな自分が嫌でたまらなかった。

冗談や楽しいことは好きだし、心の中はポジティブであり続けたいが、
思う様に感情の表現や言葉に出すことも出来ない。

そんな自分の中での性格のギャップに、生きづらさを感じていました。

やりたい仕事なんてわからない。
ただ、「夢や希望に向かって仕事をしている人達は素敵だな。」
という憧れだけはありました。

なんとなくで就職した会社で仕事をしながら、
どう生きていったらいいのか、本気で悩んでいました。

自分を縛り付けているのは、自分自身。

そんな中、人生を変える1曲に出会います。

「人生の中で、今という瞬間はあっという間に過ぎていく。
人の目を気にしてる場合ではなく、大切な限りある時間の中で、
自分の言いたい事を言って、やりたい事をやって後悔するなら、何もしないで後悔するよりいいじゃないか。」

その曲は、「自分のやりたい事や夢に向かって生きていっても良いんだよ。」という生き方を教えてくれました。

青臭いかもしれないけど「自由」や「夢」を真剣に考えた結果、
人生の時間を好きな事を仕事にすれば自由になれると信じた。

それから、周囲の反対も押し切り、
思いきって会社を退職し、やりたい事を探す日々…
葛藤しながら少しづつ自分を変えていきました。
 
やがて気付きます。
今、自分を縛りつけてるのは、周りの環境ではなく
「自分自身なんじゃないだろうか」と。

「自分には出来ない」とか「お金がないから」「時間がないから」とか
そう決めつけてるのは、自分なんだろうと。

やりたい仕事が見つかり、ラーメン店を開業

そこから僕は、やってみたい事は遊びでも何でもやった…
エレキギター、スノーボード、サーフィン、バーテンダー、ビーチバレーチーム立ち上げ、ラーメン食べ歩き、、、

だんだん、自分に自信が持てるようになったところで、好きだったラーメン食べ歩きから、「ラーメン店開業」というやりたい事が見つかります。 

元々、料理が好きだったし、美味しいものを教えたり食べてもらうのが好きだったのです。

ラーメン屋で厳しい修行や多くの人達と触れ合う中で、人前に立つ苦手意識も大分克服できるようになりました。
 
それから、修行の末に「ラーメン店開業」を果たし、順調に営業していました。好きなものを仕事に出来て、自分にやっと自信が持てるようになれたのもこの頃です。

次第にお子さんからお年寄りまで来店頂ける店になり、「美味しい」と笑顔になってもらえることに幸せを感じていました。

焼き芋屋さんとの出会い。

しかし、開業して数年たった後にコロナウィルスの流行に見舞われます。売り上げは下がり、従業員も確保できず、景気の悪化と共に、気持ちも沈んでいくばかりでした。

お店を持って自分自身にもやっと自信が持てる様になったのに「自信の無い自分」に逆戻りしていくような感覚。

しかし、そんな自分を変えてくれたのは、周りの仲間でした。

仲の良いラーメン店主から「焼き芋販売」を仕事にする話を聞きました。焼き芋だったら小さい子供からお年寄りまで「美味しい笑顔」を見れる。なんて素晴らしい仕事なんだ!と瞬間的に思ったんです。

その後、仲の良いラーメン店主は、昔ながらの軽トラで、「お芋三兄弟」という焼き芋屋を始めました。
僕はラーメン店を休業し、お手伝いをさせていただきました。

その時の「紅はるか」という品種の焼き芋が感動するくらいウマかったんです。ありがたいことに、沢山の人に買ってもらって全部売り切れてしまいました。

それから、何度も手伝いましたが、
お客さんの「美味しい!」「美味しかったよ!」の言葉が今でも忘れられません。

焼き芋ねこじろうの伝えたい想い

その店主とは有名な焼き芋を食べ歩いたり、焼き芋ドリームを語り合ったりし、本格的に焼き芋屋を始める話をしていました。

しかしそんな矢先、その店主は難病かかってしまい、
ラーメン屋も焼き芋屋にも復帰出来ない状態となってしまいました。
 
ラーメン屋同士だった頃から、愚痴や夢や希望を語り合った、仲間の容態を知った僕は、鬱病になる程の精神的ダメージを受けました。

しかし、彼から教えてもらった「子供からお年寄りまで喜んでもらえる焼き芋」を、僕は彼の分まで明るく元気に楽しんで『焼き芋を仕事』にしていく決意をしました。
 
そして今、ラーメン店を閉めて、もっともっと人と直接接することができる『キッチンカーの焼き芋屋』を開業するという考えに至ったのです。

今も自分自身と闘っている自分だけど、楽しんで仕事をしている大人の姿を見てを見せることで、少しでも伝えられたらいいなと思ってます。

昔の自分のように、やりたい事が出来ず、悩んでいる大人たちへ。
昔の自分のように、思い通りに行動が出来ず、悩んでいる子供たちへ。

人はもっと自由なのだと。
これからの自分の生き方で伝えたい。